投稿日: 2025.01.07
スピリチュアルアルケミスト 小西未珈
目次
この記事で扱うテーマについて
家族の問題をきっかけに、心理カウンセリングを受ける方は、年々増えています。
「誰かに話を聴いてもらいたい」「自分の気持ちを整理したい」
その思いからカウンセリングの扉を叩くことは、とても自然な選択だと思います。
実際、心理カウンセリングは多くの人を支え、心の回復や気づきを促してきた、大切な支援の形です。
私自身も心理学やカウンセリングを学び、その価値を理解している立場として、本記事は心理カウンセリングを否定したり、批判したりする意図で書いているものではありません。
ただ近年、「心理カウンセリングを受けたことで、家庭の状況がかえって悪化したように感じる」
と話される方からお話を聞く機会が増えています。
この記事では、共感や受容の大切さを前提としたうえで、家族という「関係性の中で起きる問題」において、なぜそれが難しさを伴うのかという点を、考えていきたいと思います。

共感と受容は、家族の問題ではどのように働くのか
共感や受容は、心理カウンセリングにおいてとても大切な役割を持ちます。
自分の気持ちを否定されずに受け止めてもらえることで、心は少しずつ安心し、その関係性の中でカウンセラーへの信頼が育まれていきます。
とくに、強いストレスや孤独感を抱えているとき、
「そう感じていたのですね」
「それはつらかったですね」
という言葉に救われた経験を持つ方も多いのではないでしょうか。
このように、共感や受容は、本来、カウンセリングに来る人を支えるための大切な技法です。
ただし、家族の問題が関わってくるとき、この「共感」という関わり方が、少し複雑な働きをすることがあります。
家族は、
・日常を共にし
・感情や立場が絡み合い
・目に見えない力関係や役割の偏りが生じやすい
とても特殊な関係性です。
そのため、家族の問題を扱う際には、「一人の心をどう支えるか」という視点と同時に、その人が家庭という関係性の中で、どのような位置にいるのか、他の家族との関係はどうなっているのだろうかといった視点も含めて、見ていく必要が出てきます。
しかし、初期段階のカウンセリングでは、その段階まで到達できず、終わってしまうことも少なくありません。なぜなら、カウンセリングには時間的な制約もあり、家庭全体の関係性まで十分に掘り下げる前に、ひと区切りとなってしまうことも少なくないからです。
心理カウンセリングは、基本的に来談者一人との対話を大切にしながら進むことがほとんどです。
これは、クライエントの内面に丁寧に向き合うための、重要な前提だと思います。
しかし、家族問題が絡んでいる場合、その「一人の語り」が、家庭全体の状況をすべて映し出しているとは限らない、
という難しさも同時に含んでいます。
ここに、共感や受容が、意図せず別の意味を持ってしまう余地が生まれることがあります。
次の章では、とくにモラハラ的な傾向を持つ人が関わるケースで、この構造がどのように表れやすいのかを、もう少し具体的に見ていきたいと思います。

モラハラ的な人が関わるケースで起きやすいこと
これらは、すべての家庭に当てはまるものではありません。
ただし、次のような関わりが 繰り返し見られる場合、関係性に歪みが生じている可能性はあるかもしれません。
また、ここでいうモラハラとは、特定の性別や人格を指すものではありません。
たとえば、
- 人格を否定するような言葉を投げかける
(「頭が悪い」「価値がない」「誰のおかげで生活できていると思っている」など) - 自分の価値観や考えを「正しいもの」として押し付ける
(「普通はこうだ」「それは間違っている」と判断を先に置く) - 相手の行動や選択を細かく修正しようとし、相手が自分で決める余地を少しずつ奪っていく
- 交友関係・家族・仕事への関与を制限しようとする
「お前のため」「心配だから・・・」という言葉を使いながら、自由を狭めていく - 問題が起きると、責任をすべて相手のせいにする
- 急に優しくなったり、急に冷たくなったりすることで、相手を不安定な状態に置く
- 不機嫌や沈黙を使って相手をコントロールする
(相手がいないものとして、通常通りの生活をするなど)
-「別れる」「捨てる」といった言葉で不安を煽る - お金の管理を一方的に握る(必要な生活費を渡さない、制限する、経済的に依存せざるを得ない状態をつくる)
- 周囲に相手の悪口を広めることで、「みんなもそう思っている」と同調圧力をかける
など・・・。
これらは、すべてが一度に起きるとは限りません。
また、本人に強い悪意があるとは限らず、「正しいことをしている」「相手のためを思っている」という認識のもとで行われていることも少なくありません。
しかし、こうした関わり方が 修正されないまま繰り返されると、関係性の中で、影響を受けている側の感覚や判断力、自己肯定感が、少しずつ削られていくことがあります。

家庭という環境が、この問題を見えにくくする
これらの言動は、たとえば職場であれば、上の立場の人から注意を受けたり、第三者が介入したりすることで、本人が自分の言動に気づくきっかけになることがあります。
しかし家庭の中では、力を持っている立場の人が同じことを行っていたとしても、それを客観的に指摘したり、止めたりできる人が存在しないまま、関係性が続いてしまうことがあります。
その結果、誰にも修正されない言動が日常化し、周囲の家族が影響を受け続けるという構図が、出来上がっていくのです。
なぜ、モラハラ的な関わりになってしまうのかというと、その関わりは、最初から「相手を傷つけよう」と思って始まるとは限りません。
その背景には、
・強い不安や無力感
・自分の立場が揺らぐことへの恐れ
・「こうあるべき」という価値観への強い固執
・感情をうまく扱えていない状態
・相手が自分から離れていくことへの恐れ
などが存在している傾向があると言われています。
本人の内側では、「支配している」という感覚よりも、「自分を守っている」「秩序を保っている」という認識で行われていることも少なくありません。
また、育ってきた環境の中で、
・支配や威圧が当たり前だった
・感情について話し合う経験が乏しかった
・弱さを見せることが許されなかった
といった体験をしている場合、対等な関係性の築き方を学ぶ機会がなかったというケースもあります。
ここで大切なのは、こうした背景があるからといって、相手を傷つける行為が正当化されるわけではないという点です。

共感がもたらす変化と、家庭の中で起きていること
このような関係性の中で、モラハラ的な関わりをしている側の人が、「自分の行動は本当に間違っているのかどうか」を確かめるために、カウンセリングや相談の場を訪れるケースがあります。
その動機は、必ずしも「相手を変えたい」「関係性を見直したい」というものだけではなく、
・周囲から責められているが、その指摘は妥当なのか
・自分ばかりが悪者にされている気がする
・第三者の視点で確認したい
といった、自分の立場や正しさを確かめたい気持ちから生じていることも少なくありません。
そのため、相談の場では、まず本人の中にある苦しさや孤独感が語られる傾向があります。
「自分なりに頑張ってきた」
「理解されていないのは自分のほうだ」
「本当は自分のほうがつらかった」
こうした語りは、本人にとって切実なものであり、その感情に対して共感や受容が向けられること自体は、心理カウンセリングとして自然で、大切な関わりです。

共感が「安心」から「確信」に変わるとき
そして、共感されることで、本人の心は一時的に落ち着き、「否定されなかった」「受け止めてもらえた」という安心感を得ます。
しかし、この安心感が、家庭に戻ったあと 別の形で作用してしまう ケースがあります。
感情への共感が、
・理解された
・認められた
・自分は間違っていなかった
という認識へと変換され、
やがて、「今までの自分は正しかった」という確信へと近づいていくことがあるのです。
本来、共感されているのは「つらかったという感情」であり、家庭内での言動や関係性そのものが肯定されたわけではありません。
しかし、モラハラ的な傾向を持つ人の場合、感情への理解と、行動や態度の評価を切り分けて捉えることが難しく、共感がそのまま
・自分の家族への関わり方に関する肯定
として受け取られてしまうことがあります。
その結果、家庭では、
・言葉が以前よりも強くなる
・相手を指摘する頻度が増える
・「専門家も分かってくれた」という言葉を盾にする
・相手の訴えに耳を傾けなくなる
といった変化が起きることがあります。
その行動や言動から影響を受けている側の家族からは、
・カウンセリングに行ったはずなのに、前よりもきつくなったように感じる
・『自分は理解された』と言うようになり、こちらの話をまったく聞かなくなった
といった声を聞くことも、決して珍しくありません。
外から見るとそれは、関係性が改善していないというよりも、モラハラ的な関わりが、かえって強まったように見える状態化してしまっていることになります。
ここで大切なのは、これは 誰かが意図的に状況を悪化させたという話ではない、という点です。
共感や受容という本来とても大切な関わりが、家庭という場に戻ったとき、自分の正しさを補強する力として使われてしまうという現象が起きてしまうことがあるのです。
家族という「関係性の中で起きている問題」では、一人の語りだけでは見えにくい現実があり、その構造が扱われないまま共感だけが先行すると、結果として家庭内の力関係が固定され、被害を受けている側の苦しさが深まってしまうことがある、ということなのです。
このような影響を、日常の中で受け止め続けているのが、その影響をそのまま受けている側の家族です。
次の章では、そうした家族が、実際にどのような感覚や思いを抱えやすいのか、
そしてなぜ家族が
「カウンセリングに行ったはずなのに、かえって苦しくなった」
と感じてしまうのかについて、見ていきたいと思います。

影響を受けている側の家族が感じていること
このような関係性の変化は、家庭の中で共に暮らしている家族に、気づかないうちに、しかし確実に影響を与えていきます。
言葉にされることは少なくても、「何かおかしい」「前より苦しくなっている気がする」そんな違和感を抱えながら、日常を過ごしている方は決して少なくありません。
相手がカウンセリングや相談の場に足を運んでいると聞くと、
「良い方向に向かうのではないか」
「きっと変わってくれるのではないか」
そう期待する気持ちが生まれることもあります。
しかし一方で、その後の家庭の中で起きている変化に、戸惑いや混乱を感じてしまうケースもあります。
ここからは、影響を受けている側の家族が、どのような感覚や思いを抱えやすいのか、そしてなぜ、その苦しさが言葉にしづらくなってしまうのかを、見ていきたいと思います。
他の家族の迷い:カウンセリングに行った結果
影響を受けている側の家族が、まず感じやすいのは、自分の感覚への迷いです。
相手がカウンセリングや相談に通っていると聞くと、
「専門家のもとで話をしているのだから、きっと正しい方向に向かっているのだろう」
「自分よりも、相手のほうがきちんと向き合っているのかもしれない」
そんな思いが自然と浮かんできます。
その一方で、家庭の中では、
・言葉が以前よりきつくなった
・こちらの意見を聞いてもらえなくなった
・話し合おうとすると、理屈や正論で押し返される
といった変化が起きているにもかかわらず、それを「問題だ」と感じる自分の感覚に、ブレーキをかけてしまうことがあります。
「相手は相談に行っているのに、それでも苦しいと感じる自分のほうがおかしいのではないか」
こうして、違和感を覚えた瞬間から、その違和感を打ち消そうとする心の動きが生まれていきます。

相手が「相談に行っている」ことで、声を上げにくくなるとき
さらに難しさを増すのは、相手が「自分は相談している」「専門家に話を聞いてもらっている」という立場に立っている場合です。
その言葉が直接向けられなくても、家庭の空気の中に、
「自分はもう十分に努力している」
「理解されているのは自分のほうだ」
という前提が生まれてしまうことがあります。
その結果、影響を受けている側は、
・これ以上何を言っても無駄なのではないか
・自分が何か言うと、相手の努力を否定することになるのではないか
・「相談にも行っているのに、まだ不満があるの?」と思われるのではないか
と感じ、言葉を飲み込むようになっていきます。
こうして、家庭の中で起きている苦しさは、誰にも整理されないまま、静かに積み重なっていきます。
その苦しさは、「大きな被害」として自覚される前に、
「よく分からないけれど、しんどい」
「何かがおかしい気がする」
という、曖昧な感覚として続いていくことが多いのです。
関係性の中で、自分を守るという家族の選択
家庭の中で起きている苦しさが長く続くとき、影響を受けている側の家族は、
「どこに相談すれば、この状況をきちんと理解してもらえるのだろうか」
と考え始めることがあります。
それは、モラハラ的な家族の影響が強くなってくることにより、今の状況を何とか変えたいという家族の願いになります。
今の状況には、別の視点が必要なのではないかという、ごく自然な別の視点での動きとも言えるのかもしれません。
この章では、なぜ影響を受けている家族が別の相談先、ときにスピリチュアルカウンセリングという選択肢にたどり着くのかについて、その背景を考えていきたいと思います。

「扱われていない何か」があると感じるとき
このような家庭の状況の中で、影響を受けている側の家族が、別の相談先を探し始めることは、意外と多い傾向にあります。
それは、これまで家族が受けていたカウンセリングの中で扱われなかった他の家族が影響している部分は、そのままでもいいの?
という感覚が、少しずつ重なった結果として起きていることが多いように感じます。
たとえば、
・自分の感じている違和感が、言葉にしきれない
・「それはつらかったですね」と共感されても、状況が変わらない
・相手の行動や関係性そのものについては、踏み込まれない
・話をすればするほど、自分の気持ちだけが整理され、現実とのズレを感じる
こうした体験が続くと、「自分の内面だけを見つめ続けること」に、限界を感じ始めることがあります。
心理カウンセリングは、個人の心を丁寧に扱うことに大きな力を持っています。
そのため、家族の問題や力関係が絡むケースでは、
・自分の心を見つめることと
・現実の関係性の中で起きていること
その両方を同時に扱うことが難しくなることもあるのでしょう。
そのとき、影響を受けている側の家族は、
「もっと全体を見てもらえる場所はないだろうか」
「言葉にならない違和感を、そのまま受け取ってもらえる場はないだろうか」
「ただ、私の声を聞いてほしい」
「今の状況が、とてもつらい」
と感じるようになります。
スピリチュアルカウンセリングに足を運ばれる方の多くは、不思議な力や特別な答えを求めているというよりも、
・関係性の中で起きていることを、俯瞰して見たい
・自分の感覚が間違っていないのかどうなのかを確認したい
・理屈や正論では説明できない苦しさを、そのまま受け止めてほしい
・自分の苦しさやつらさを理解してくれる場所がほしい
・別の視点からの家族の問題をみてほしい
といった、切実な動機を抱えています。
そこには、心理とスピリチュアルのどちらが正しいか、という対立はありません。
どの視点を選ぶかは、ご本人の意思によるものであり、その選択自体が尊重されるべきものだと思っています。
「今の自分にとって、どの視点が必要なのか」
「どこなら、この状況をもう少し違う角度から見れるだけでなく、自分を受け入れてくれるのか」
そうした希望の延長線上に、スピリチュアルカウンセリングという選択肢もあるからです。
そして実際に、
「ここで初めて、家庭全体の構造を言葉にしてもらえた」
「自分の感覚を、否定せずに整理してもらえた」
と感じる方も少なくありません。
それは、心理カウンセリングの代わりになるという話ではなく、これまで届かなかった視点を補う場所として、必要とされているケースが増えている、ということなのだと思います。

スピリチュアルという選択が意味を持つとき
なぜ、スピリチュアルが選ばれるのか。その理由を、少しだけ丁寧に見ていきたいと思います。
スピリチュアルに関心を持つ人を、
「心が弱い人なのではないか」と捉える声を耳にすることがあります。
けれど、実際にはそうではありません。
多くの場合、人がスピリチュアルを選ぶ背景には、「癒しの層」に触れたいという、ごく自然な感覚があります。
・理由ははっきりしないけれど、苦しさが残っている
・頭では理解できているのに、心が追いつかない
・過去の出来事が、今も感情として身体に残っている
・カウンセリングで話をしても、どこか満たされない感覚がある
こうした状態は、決して珍しいものではありません。
スピリチュアルは、癒しを起点として、「言葉で表現することができない」人の内側に関わっていくことを大切にします。
そのため、
「科学的に証明できるのか」
「公的な資格があるかどうか」
といった基準だけでは届かない領域に存在することになります。
また、カウンセリングにおける共感や受容だけでは支えきれない、もう一段深い部分を求めている場合も少なくありません。
スピリチュアルセッションを受けに来られる方の多くは、知らず知らずのうちに抱えてきた心の傷や、言葉にすること自体が難しい体験を抱えています。
そうした部分に対して、スピリチュアルでは、対話だけでなく、必要に応じて別の視点からの情報を伝えたり、ヒーリングなどの手法を用いながら、感情や心の奥に残った痛みに、そっと触れていくことがあります。
それが、スピリチュアルという選択が、意味を持つときなのかもしれません。

まとめ:一人で抱えず、必要な視点を取り入れていくために
今回のブログでは、家族間の問題の一例として、モラハラ的な関わりを取り上げました。
これは、特別なケースだからではなく、実際にこのような悩みを周囲から聞いたり、ご相談として受けることが、思っている以上に多いからです。
家族という近い関係だからこそ、問題は見えにくく、言葉にしづらくなりがちです。
また、「我慢すれば何とかなる」「自分が変わればいい」と、一人で抱え込んでしまう方も少なくありません。
心理カウンセリングは、心の問題を抱えている人にとって、大切な支援です。
一方で、家族間の問題のように、関係性や力の偏りが関わるケースでは、別の視点が必要になることがあるのかもしれません。
スピリチュアルカウンセリングは、そうした場面で、家庭全体の流れや関係性を全体的に見ながら、また、他の影響も確認しながら、苦しさやつらさに寄り添うサポートの一つとして役立つこともあるでしょう。
大切なのは、どの方法が正しいかを選ぶことではなく、今の自分にとって、何が必要かを考えることです。
苦しさやつらさから少しずつ解放され、自分らしく生きていける感覚を取り戻していくこと。
それが、これからの家族間の問題と向き合ううえで、とても大切になってくるのだと思います。
一人で悩み続ける必要はありません。
必要だと感じたときに、信頼できる場所に相談することは、十分に「あり」だと思います。
▼心理だけでは扱いきれない領域にも寄り添う支援の一つとして。
スピリチュアルカウンセリングとは? 当たると未来は変わる?
を参考にしてみてください。
▼また、心理的なアプローチとスピリチュアル的な視点の補完については
心理カウンセラーのためのスピリチュアル・アプローチ
でも詳しく解説されています。